BOZOというのは僕(津上研太)の母方の祖父のニックネームです。 じいちゃんはハワイ生まれの日系二世で野球の選手でした。 豪腕投手で名前を若林忠志といいます。 若林が子供の頃、腕白で両親が手を焼いたそうです。 あまりのことに当時ハワイにあった寺に預けられて 根性を叩き直されたりしたそうです。 そこで周囲からボーズとひやかされたりしているうちに 英語的になまってボーズがボ―ゾ(BOZO)と言う風に 呼ばれるようになっていったそうです。 BOZOというのは古い米語のスラングでguy(ナイスガイのガイ) という意味もあり、手におえない腕白のじいちゃんには ぴったりのニックネームだったのではないでしょうか。 じいちゃんは野球の選手として ハワイ選抜チームと日本選抜チームの交流試合で 初めてあこがれの祖国日本の地を踏む事になります。 当時、プロ野球はまだ発足しておらず、大学野球が花盛りでした。 じいちゃんはその交流試合で好投。法政大学にスカウトされ、 それから4年間法政大学は第一次黄金時代を迎えることになります。 卒業の頃、職業野球(現プロ野球)が発足。 じいちゃんは阪神タイガース発足とともに花形選手として スカウトされ入団します。その後、投手兼監督として大活躍をすることになりますが、 日本プロ野球をより発展させるためにアメリカメジャーリーグにならって 2リーグ制を提唱。みずからパシフィックリーグの毎日オリオンズへと移籍します。 そして第1回日本シリーズの開幕投手として勝利投手となりMVPを獲得。 そのとき42才でした。彼のコントロールは針の穴をも通すと言われ、「七色の変化球」 と異名をとりました。巨人の選手以外で初の野球殿堂入りを果たしました。 |
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若林忠志 / Tadashi Wakabayashi
[投手]1908.3.1-1965.3.5没 右投右打 175cm 78kg 1936-1949阪神、1950-1953毎日(実働16年) 生涯成績: 最優秀選手2回 最多勝利1回 最優秀防御率2回 最高勝率2回 237勝144敗 1000奪三振 防御率は1.99(歴代4位) |
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僕がこのバンドを結成しようと思い立ち、バンド名を考えていて、 なんか「津上研太カルテット」とかいう名前はやだな、などと 考えていました。丁度その頃、若林忠志の33回忌がありました。 出席した僕はあらためてじいちゃんの偉業を感じ、 手におえない腕白ぶりとか、誠心誠意一つのことに一生を捧げた姿に 感動を覚え、親戚の了解を得てバンドの名前をBOZOにしました。 |
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